ホチキス先生の「プログラマーと呼ばれたい」

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パーソナルコンピューターはなくならない

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近い将来「パソコンはなくなる」と言う人がいる。預言者、まじない師、八卦見、霊能者、ではなくて真っ当な研究者でもそんなことを言う人がいる。だが残念ながらそれは「はずれ」だ。パーソナルコンピューターはなくならない。恐らく今後1000年くらいは、パーソナルコンピューターの本質を保持したまま進化することはあっても、なくなるはずがない。「パソコンはなくなる」と言う人は、現在のパーソナルコンピューターの本質をわかっていないか、機械が苦手で思うとおりに動かすことができないコンピューターを憎んでいるか、パソコンがなくなると吹聴することで何かビジネスチャンスを目論んでいるかのどれかであるか、あるいは全部だろう。
 
1970年代にパーソナルコンピューターに出会って夢中になった人間は、パーソナルコンピューターの本質と可能性、威力を知っている。ピンときたのだ。その反面、今日のようにあまねく一般家庭にパーソナルコンピューターが普及するとは思わなかった。なぜならパーソナルコンピューターは「扱いにくいおもちゃ」だからだ。楽しむためには相当の労力が必要であり、そこで得られる喜びは極めて抽象的で、一般の人には「何が楽しいかわからない」といったものだったからだ。だから「パソコンマニア」と言われた。
 
「扱いにくいおもちゃ」という言葉は悪い意味ではない。「扱いにくい」が「扱えない」ものではないからだ。パーソナルコンピューターには無限の可能性がある。だがその可能性を実現するには、それなりの努力とセンスが必要だ。だから一般の人がパーソナルコンピューターを手にして楽しむようになったのは、ごく最近のことである。インターネットが普及することと連動してパーソナルコンピューターも普及することになるが、インターネット以前は、一般家庭でパーソナルコンピューターを遊び目的で購入することは稀であり、むしろファミコンなどのビデオゲームを買うことのほうが多かった。MSXというビデオゲームとパーソナルコンピューターの機能を合体したような画期的な製品もあったが、市場には受け入れられなかった。一般の人は無限の可能性よりも「扱いやすい」おもちゃを選択したのだ。
 
最初はごく一部のパソコンマニアのものだったパーソナルコンピューターだったが、次第に仕事で使うために持つ人が増えてきた。だが仕事上でパーソナルコンピューターを必要とする人というのは、インターネット以前にはそれほど多くなかった。しかし今日では、インターネットの普及と連動しながらパーソナルコンピューターが一般家庭に普及し、一家に一台、いや一人に一台、ともすれば一人で何台も持っているという状況がある。
 
では一般の人はパーソナルコンピューターを何に使っているのだろう。まずインターネットに繋いで様々な情報をやりとりすることがある。その中には単にニュースを入手することから、オンラインショッピング、電子メール、blog、ソーシャルネットワーキング、などがあるだろう。その次には、ディジタルカメラの写真を保存すること、音楽CDやDVDから携帯型ディジタルプレイヤーにコンテンツを移すこと、などの使い方が多いのではないだろうか。そしてワープロとして手紙や年賀状などを作るために使う、くらいが一般的な利用方法だろう。これらの利用方法を表面的に見ただけでは「パソコンはなくなる」と思うかもしれない。いわゆる「セットトップボックス」の発想で、インターネットのウェブブラウジングさえできるマシンがあれば、これらの利用方法はすべて実現できるからだ。データはインターネットにストレージが提供され、ワープロや表計算もサービスとして提供される時代が来ているからだ。
 
もしかしたらここ数年のうちに、パーソナルコンピューターではないインターネット端末が一定の流行をみせるかもしれない。しかし人は必ずパーソナルコンピューターに戻ってくる。なぜならパーソナルコンピューターには「パーソナル」という価値があり、その価値を多くの人が知ってしまったからだ。有償無償のアプリケーションを自分好みにインストールして使う。周辺機器を追加して機能を強化する。OSすら選択する自由がある。知的好奇心と多少の論理的思考力があれば、自分でプログラミングしてアプリケーションを作ることもできる。これがパーソナルコンピューターの魅力だ。
 
パーソナルコンピューターの本質は、ディジタル処理を個人レベルで可能にしたことである。インターネットを使うこと、ディジタルカメラの写真を処理すること、音楽や動画をコピーすること、手紙や年賀状を作ること、これらの本質はすべてディジタル処理である。パーソナルコンピューターを手にすることで、人はディジタル処理技術を個人レベルで可能にしたのだ。このことはインターネットが普及する以前からパーソナルコンピューターの本質としてある。インターネットの普及は、ディジタルカメラなどディジタル技術を産業として加速させ、パーソナルコンピューターの普及に一役買った点はあるが、あくまでもパーソナルコンピューターが主役であり、インターネットは脇役である。
 
人はディジタル処理技術を個人レベルで可能にしたパーソナルコンピューターに魅力を感じている。それがパーソナルコンピューターの本質であり、この本質は受け継がれる。ディジタル技術そのものが過去の技術となるほどの大きな技術変革がこの世に起こらない限り、パーソナルコンピューターはなくならない。

Written by Yoshio Matsumoto

2009年7月22日 @ 11:56 PM

カテゴリー: コンピュータ

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