ホチキス先生の「プログラマーと呼ばれたい」

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Archive for 1月 2018

プログラミングのできない学者や有識者がプログラミング教育をねじ曲げる – プログラミングの「プ」の字もなかった教科「情報」迷走の轍をふまないために – プログラミング教育の体系化が緊急課題

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念のため、本文はあくまでも現場の一教員による私見であることを断っておく。

2003年から教科「情報」が高等学校ではじまったとき「教科『情報』はコンピュータを教える教科ではない」と声高に叫ばれ、そこで台頭してきたのは「なになに情報教育学会」といった新興のステークホルダーである。それは、長年日本のコンピュータ教育をけん引してきた情報処理学会とは異にした流れの、教育学や認知科学分野の学者や有識者によるものだった。当時の雰囲気は「情報処理は情報教育学の単なる一分野にすぎない」といった論調が主流であった。おそらくボタンの掛け違いはここに始まった。このために情報教育はコンピュータやインターネットを正面からとりあげず、普遍的なメディア論やプレゼンテーションやディベート、調べ学習、問題解決学習、共同学習、さらには道徳のような「情報モラル」に偏り、プログラミングの「プ」の字もなく始まった。

2003年にはじまり15年間の迷走を続けた教科「情報」は、ようやく小学校のプログラミング教育をきっかけに本来の目標に立ち戻ろうとしている。だが問題は、教科「情報」がはじまったときと似た現象、つまりプログラミングのできない学者や有識者がプログラミング教育のステークホルダーに居座り続けようとしていることだ。そのため、たとえば文部科学省の調査研究協力者会議「小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議」では2016年6月16日に出した「小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)」にわざわざ「コーディング(プログラミング言語を用いた記述方法)を覚えることがプログラミング教育の目的であるとの誤解が広がりつつあるのではないかとの指摘もある」「時代を超えて普遍的に求められる力としての『プログラミング的思考』などを育むことであり、コーディングを覚えることが目的ではない。」などと書かれている。

めまいがするほどだ。コーディングを覚えずに時代を超えて普遍的に求められる「プログラミング的思考」など身につくなどと本気で思っているのだろうか。

この現状は、おそらく、いわば「外国に行ったことのない学者や有識者が国際理解教育を作ろうとしている」くらいの状況である。

その一方で、主として小学校の現場では、先駆的な教員によって自主的にプログラミング教育の実践が始まっている。子どもたちに扱いやすい教材、わかりやすいカリキュラム、実習をしやすい環境構築を模索している。インターネットを通じた実践交流も活発に行われている。もはや緊急の課題は、初等中等教育を通じたプログラミング教育の体系化である。「プログラミング教育はプログラミングを教えるものではない」などと禅問答をしている場合ではないのだ。

小学校では流れ図に示される構造化、つまり順次構造、反復構造、条件分岐でいいとして、ブロック型プログラミングから始めることがいいだろう。簡単なマイコンボードを使った計測や制御も取り入れるべきだ。ではその次はどうか。中学校では何をするのか、高等学校では何をするのか。

まず何よりもオブジェクト指向を取り上げるべきだ。オブジェクト指向がわからなければ現代プログラミングを理解したことにならない。かく言う私もオブジェクト指向を理解するには時間がかかった。「オブ脳」という言葉があるように、オブジェクト指向は言葉で説明されて理解できるものではなく、例えれば自転車に乗れるようになるようなものだ。子どもが自転車に乗れるようになる瞬間、それは突然やってくる。なんどもなんども失敗を繰り返し、ほんの数センチでさえ動いて倒れる様子を見ていると、はたして本当に乗れる日が来るのだろうかと心配になるが、乗れるようになるのは突然である。そして一度乗れるようになれば、あたりまえのようにすいすいとこげるようになる。

オブジェクト指向を理解するにはオブジェクト指向プログラミングをしなければならない。自分でコードを書き、動かしてはじめてオブジェクト指向は理解できる。「オブジェクト指向はカプセル化、継承、ポリモーフィズム」と暗記するだけでは何の意味もない。なぜプログラミングはオブジェクト指向になったのか、オブジェクト指向の何がいいのか、どこでどうオブジェクト指向を利用すればいいのか、を理解しなければ意味がない。それには言語として C# (C Sharp) がいいと断言できる。かつて BASIC が初心者にとって学びやすい言語であったのと同じくらい C# はオブジェクト指向を学ぶ初心者にとって学びやすい。言語仕様が正確であり、JIS や ISO にも規定されている。ポインタやガーベージコレクションを意識する必要もない。書法は簡潔で美しい。Visual Studio という優れた開発環境もある。

すぐれた自転車教室にはノウハウがあり、一日やれば必ず乗れるようになるプログラムがある。それと同じように、オブジェクト指向も優れたカリキュラムがあれば誰でも理解できるようになる。中学校段階なら必ず理解できる。オブジェクト指向とともに理解しなければならないことは、イベントドリブンである。サーバーサイドプログラミングも中学校では身につけさせたい。Webサービスのインタフェースなどは中学生段階でも理解できるだろう。

コンピュータの抽象化、クラウドコンピューティングは高等学校の内容になるだろう。機械学習や AI、データ処理を通じてイベントドリブンからデータドリブンのプログラミングを学ぶ必要がある。マイコンボードをネットワークにつなぎセンサのデータを集めるIoTからデータベースを学ぶ必要もあるだろう。近い将来クラウドコンピューティングは革命的に転換しそうなので、関数型プログラミングやサーバーレスといった技術がテーマになるだろう。

数年後には小学校でプログラミングの基礎を身につけた子どもたちが中学校へ、そして高等学校へ進学してくる。必要なことはプログラミングのできる学者や有識者が情報教育をけん引し、プログラミング教育を体系化することだ。現場の教員も口を開けて待つのではなく、自己研鑽と教材研究にいますぐ取り組むべきである。

2018年1月12日

松本 吉生(まつもとよしお)
Microsoft MVP Data Platform

1961年京都に生まれ、神戸で幼少期を過ごす。大学で応用化学を学んだのち、理科教諭として高等学校に勤務する。教育の情報化が進む中で校内ネットワークの構築運用に従事し、兵庫県立明石高等学校で文部科学省の「光ファイバー網による学校ネットワーク活用方法研究開発事業」に携わる。兵庫県立西宮香風高等学校では多部制単位制の複雑な教育システムを管理する学籍管理データベースシステムをSQL ServerとInfoPath、AccessなどのOfficeソフトウエアによるOBA開発で構築・運用する。現在は兵庫県立神戸工業高等学校でC#プログラミング、IoTなどのコンピュータ教育を行う。2004年からマイクロソフトMVP(Microsoft Most Valuable Professional)を受賞し、現在14回目の連続受賞。2016年にマイクロソフト認定教育者(Microsoft Innovative Educator Experts : MIEE)を受賞し、現在3回目の連続受賞。

プログラミング教育の目標はプログラミングを学びながらプログラミング思考を身につけることである。 – 教科「情報」迷走の轍をふまないために

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西暦2000年の政府の「ミレニアムプロジェクト」の「教育の情報化」を受けて新しい学習指導要領で高等学校に教科「情報」が導入されようとしたとき、しきりに「教科『情報』はコンピュータを教えるものではない」という声があった。情報はコンピュータやインターネットを通じてだけで流通するものではないから、テレビやラジオ、新聞などのメディアを総体として取り上げるべきだ、というのである。また「情報」はコミュニケーションであり表現活動であるから、プレゼンテーションやディベートなどを取り上げるべきだ、とか情報モラルこそ重要だと声高に騒がれ「相手の気持ちになってメールを書きましょう」といった道徳のような授業が行われるといった迷走が長く続いた。

当時から俺の考えはこうだ。もしテレビやラジオ、新聞のようなメディア一般を学ぶ必要があるなら、それは1960年代に行うべきだった。21世紀に情報教育を行うなら、それは紛うことなく「コンピュータとインターネット」を正面から取り上げるべきである。しかしようやく、教科「情報」が実施された2003年からから15年を経て「プログラミング教育」が日の目を浴びることになった。感無量である。

だが、ここにきてまた本質から目を背けようとする意見を目にするようになる。「プログラミング教育はプログラミングを学ぶものではない」といった論調だ。いったいこれは何だろう。プログラミングを学ばずに何をどうしようと言うのだろう。他の教科でこの意見をまねてみればおかしなことがすぐわかる。「数学教育は数学を学ぶものではない」「英語教育は英語を学ぶものではない」「国語教育は国語を学ぶものではない」と。これらの意見は空論である。

もう少しひねった言い方では、こんなものもある。「プログラミング教育はプログラミングを学ぶのではなくプログラミング的思考を養うものである。」と。だがこれも意味がない。プログラミングをせずにプログラミング的思考が身につくはずがない。計算せずに数学的思考を養うことはできないし、文章を読んだり書いたりせずに国語的思考を養うことはできない。

なぜこのようにプログラミングを斜めからしか見ない意見が出てくるかといえば、それは教科「情報」が始まったときにコンピュータやインターネットから目を背けようとした流れと同じである。つまりプログラミング教育を含めた広い意味での日本の情報教育について主導権をとろうとしている学者や有識者の多くがプログラミングを知らないからだ。また現場の教員もプログラミングの知識や技術がなく、教育行政も教員のプログラミング力の底上げ責任を放棄して教員の自主性にまかせているだけだからだ。

そもそも、なぜプログラミング教育が必要なのか。それは現代の高度情報通信社会においてプログラミングは価値を生むものだからだ。プログラミングによって新しい価値を生み、私たちの社会は豊かになる。狭い意味では国際競争力をつけて日本が発展し続けるためであり、普遍的には世界の人々がより豊かになるための知識や技術であるからだ。だからプログラミング教育が必要なのだ。したがって、もし仮にこのようなことがあり得るとして、プログラミング的思考が身に着いたが実際のプログラミングができない、といった教育をしても意味がない。

誰もがプログラマーになるわけではない、という意見もあるが、しかし誰もが数学者になるわけではなく翻訳者になるわけではないが、数学や英語は必修科目である。考えてみよう。30年前にパソコンがこれだけ社会に広く普及することを想像できただろうか。30年前、俺が中学生だったころはパソコンは物好きのおもちゃだった。25年前、俺が就職したころは学校にパソコンが導入されはじめたころで、表計算ソフトを使うことが特殊技能だった。20年前、パソコン通信をやるのは一部のマニアであり、パソコンをインターネットにつなぐのは素人にはできなかった。15年前にはWi-Fiやルーターの設置などは一般の人には見当もつかない作業だっただろう。10年前には表計算ソフトで簡単なマクロを作って自動処理することくらいは普通の事務処理になった。今はどうだ。パソコンは使えません、表計算ソフトはわかりません、コンピュータをインターネットにどうやってつなぐのですか、などでは仕事にならないだろう。

現代プログラミングを知らない人間がアルゴリズムを語ると、たいて流れ図を使った構造化プログラミングの説明で終わってしまう。つまり、順次構造、反復構造、条件分岐、である。もちろんこれはプログラミング的思考の基礎ではあるが、たとえて言えば数学で加減乗除を教える程度のことである。現代プログラミングにおいては「オブジェクト指向」や「イベントドリブン」を理解しなければ話にならない。今後はクラウドコンピューティングの革命により「サーバーレス」と「関数型言語」、そして「データドリブン」の考え方が必要になる。

小学校の教員を中心に、草の根的にプログラミング教育の実践が積み上げられていること、それも急速にすすんでいることが救いである。これら実践を重ねている先生方は日本のプログラミング教育の希望の星といえる。子どもたちが目を輝かし、楽しみながらプログラミング経験を積み重ねている。高等学校の教員は、この子供たちが数年後に高等学校へ進学したときに、どのようなプログラミング教育をしなければならないのか、今から考え実践を始めなければならない。「プログラミングを教えるのではない」などという甘言に弄されずに。

2018年1月11日

松本 吉生(まつもとよしお)
Microsoft MVP Data Platform

1961年京都に生まれ、神戸で幼少期を過ごす。大学で応用化学を学んだのち、理科教諭として高等学校に勤務する。教育の情報化が進む中で校内ネットワークの構築運用に従事し、兵庫県立明石高等学校で文部科学省の「光ファイバー網による学校ネットワーク活用方法研究開発事業」に携わる。兵庫県立西宮香風高等学校では多部制単位制の複雑な教育システムを管理する学籍管理データベースシステムをSQL ServerとInfoPath、AccessなどのOfficeソフトウエアによるOBA開発で構築・運用する。現在は兵庫県立神戸工業高等学校でC#プログラミング、IoTなどのコンピュータ教育を行う。2004年からマイクロソフトMVP(Microsoft Most Valuable Professional)を受賞し、現在14回目の連続受賞。2016年にマイクロソフト認定教育者(Microsoft Innovative Educator Experts : MIEE)を受賞し、現在3回目の連続受賞。