ホチキス先生の「プログラマーと呼ばれたい」

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プログラミング教育の体系化(1) – 「小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)」を読み解く – プログラミング教育に対する誤解を払拭するために

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平成28年4月19日、文部科学省の初等中等教育局教育課程課教育課程企画室は、「小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議」を開催することとした。その趣旨は「世界に誇る日本の小学校教育の強みを生かしつつ、次世代に必要な資質・能力を、学校と地域・社会の連携・協働の中で育むことができるよう、小学校段階で育成すべき資質・能力と効果的なプログラミング教育の在り方や、効果的なプログラミング教育を実現するために必要な条件整備等について検討を行うため」としている。

小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議について(文部科学省)>
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/122/houkoku/1370400.htm

この有識者会議は平成28年6月16日に「小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)」を発表した。これを受ける形で、文部科学省は平成29年3月に新しい小学校学習指導要領(平成29年告示)を発表した。この学習指導要領では新しくプログラミング教育が位置づけられることなり、平成30年度と31年度は移行期間であり、平成32年度すなわち令和2年度、2020年度から完全実施となる。

小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)(文部科学省)>
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/122/attach/1372525.htm

小学校学習指導要領(平成29年告示)(文部科学省)>
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2019/03/18/1413522_001.pdf

1.誤解をまねく表現

この「議論の取りまとめ」の冒頭には「有識者会議における議論の視野」と書かれた部分があり、どのような考え方で議論がすすめられ結論を出したかが簡潔にまとめられている。しかしここに誤解をまねく表現がある。それは2段目の文で、正確を期すために引用すると次のように書かれている。

「小学校段階におけるプログラミング教育については、学校と民間が連携した意欲的な取組が広がりつつある一方で、コーディング(プログラミング言語を用いた記述方法)を覚えることがプログラミング教育の目的であるとの誤解が広がりつつあるのではないかとの指摘もある。“小さいうちにコーディングを覚えさせないと子供が将来苦労するのではないか”といった保護者の心理からの過熱ぶりや、反対に“コーディングは時代によって変わるから、プログラミング教育に時間をかけることは全くの無駄ではないか”といった反応も、こうした誤解に基づくものではないかと考えられる。」(小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ) – 有識者会議における議論の視野)より

ここでは「コーディングを覚えることがプログラミング教育の目的ではない」のであり、保護者は子どもにコーディングを教えなければならないと心配する必要はないし、コーディングが時代によって変わっても今やろうとしているプログラミング教育は役に立つものである、と言っている。しかしコーディングを覚えなくもいい、と言っているのではなく、そもそもコーディングをしなくていいとも言っていない。コーディングは小学校でもしなければならないし教えなければならないはずだ。なぜならプログラミングをしなければ「プログラミング的思考」など身につくはずがないのだから。

しかしインターネットで「プログラミング教育」というキーワードで検索すると、いわゆる識者の意見として「プログラミング言語やコーディングを学ぶわけではない」といった誤解をしているものがみられる。プログラミング言語やコーディングそのものを否定的にとらえる考え方になってしまっているのだ。これは間違いである。

この原因の一端は、誤解をまねく上記の文にある。上記の文は、「コーディング」について「覚えること」がプログラミング教育の「目的ではない」と言っている。だから小学生にコーディングを覚えさせてテストで文法的に正しいコードが答えられることを求めることは間違いだし、コードを書けるようになることを目標にしてはいけない、と言っている。しかし授業ではコーディングを覚えさせなければならない。なぜならコーディングを覚えなければプログラムを書けないからだ。

2.授業ではコードを書かなければならない

前述の「有識者会議における議論の視野」には次の段にこう書いてある。「プログラミング教育とは、子供たちに、コンピュータに意図した処理を行うよう指示することができるということを体験させながら、将来どのような職業に就くとしても、時代を超えて普遍的に求められる力としての「プログラミング的思考」などを育むことであり、コーディングを覚えることが目的ではない。こうしたプログラミング教育についての考え方や、小学校段階における具体的な在り方等を、下記3.や4.において示している。」(小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ) – 有識者会議における議論の視野)より

ここも婉曲でわかりにくい書き方がされているのだが、「子供たちに、コンピュータに意図した処理を行うよう指示することができるということを体験させながら」というところは、要するに「プログラミングをさせる」ということだ。「コンピュータに意図した処理を行うよう指示する」ことは現時点ではまさに「コーディング」のことであり「ができるということを体験」は実際にコードを書いてコンピュータで実行し動いたことを確かめることだ。つまり小学生にはコーディングをさせ、自分で考えたコードが正しく動くということを体験させなければならない。そのためにはコードの書き方がわからなければならないし、開発ツールの使い方を覚えなければならないし、作ったコードを動かす方法も知らなければならない。

もちろん特定のプログラミング言語の書法を暗記してすらすらコーディングできるようになる必要はないし、そもそもテキスト型のコーディングでなくブロック型のコーディングでもよいだろう。重要なことは、コンピュータにやらせたい処理を自分で考えてプログラミングをし、失敗体験もしながら正しく動くプログラムを作り上げる体験をさせることであり、それにはコーディングを覚えなければならないはずだ。

この「コンピュータに意図した処理を行うよう指示することができるということを体験」という文は随所にみられる。婉曲ではあるが、これは「プログラミングを体験させる」ということである。つまり、小学校の授業では子どもたちにコードを書かせなければならない。プログラミング体験をさせなければならない。

そもそも「プログラミング的思考」はコードを書かずに身につくはずがない。このことはプログラマーなら知っている。当たり前だ。

3.職業プログラマーの養成も期待されている

前述の「有識者会議における議論の視野」の「4.小学校教育におけるプログラミング教育の在り方 – (3)教育課程外や学校外の学習機会とのつながり」には次の記述がある。

「小学校におけるプログラミング教育で、プログラミングに触れたことをきっかけとして、個人的に更に深く学んでみたいと思ったり、プログラミングに携わる職業を目指して学びたいという夢を持ったりする子供たちが増えてくることも期待される。」「プログラミングに興味を抱いた子供が、多様な才能を伸ばしていくことができるよう、民間で実施されている多様なプログラミング教育の機会や、土曜学習等における学習機会を個別に活用できるよう、都市部だけではなく全国を視野に入れ、官民連携して体制を整えていくことが求められる。」(小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ) – 有識者会議における議論の視野)より

これについてもインターネットの識者の意見として「プログラマーの養成を目指したものではない」といった極論がみられるが、「プログラミングに携わる職業」に就くにはプログラミングを知っておかなければならないし、職業プログラマーが育つことを期待しているのだ。これは国家的目標でもある。

他国のリーダーがこぞってプログラミング教育に言及するのも、プログラマーが育たないということは国家的な危機だからだ。これは大げさではない。近年の米中貿易摩擦も広範な通信技術に対する主導権争いである。日常生活において家電製品の多くはプログラムで制御されている。プログラムが必要ないのは単純な電熱器や扇風機のようなものくらいだろう。プログラマーがいなければ家電製品すら製造することが不可能になる。ましてや通信インフラを自国で開発、制御できないとなれば、もはや国家が破綻する。

もちろん直接的に職業プログラマーにならなくとも、およそ社会の各層での意思決定者たる人材はプログラミングのことを知っていなければならない。コンピュータやプログラミングを知らなければ意思決定を誤ることになるだろう。

令和2年、2020年の4月まであと9ヶ月であり、小学校の先生は教材研究などの取り組みをすすめていることだろう。各地でプログラミング研修会が開かれており筆者も呼ばれることがある。小学校では Scratch、Micro:bit、Minecraft などを使った実践が定着してきているが、今後は教材の作りこみに工夫が必要だろう。筆者の考えとしては、人感センサのような体感的なもの、サーボモーターなど動くものの制御を体験させることを推奨したい。そして今後は、小学校で基本的なプログラミング体験をした子どもたちが中学校や高等学校で発展的な学習をどうするのかが課題となるだろう。それは、もう、目の前にやってきている。

<次の記事>
プログラミング教育の体系化(2) – 「小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)」には中学校や高等学校でのプログラミング教育についても言及されている – 目標は「全ての高校生がプログラミングを問題解決に活用することを学べるようにする」こと
https://matsumotoyoshio.wordpress.com/2019/08/05/%e3%83%97%e3%83%ad%e3%82%b0%e3%83%a9%e3%83%9f%e3%83%b3%e3%82%b0%e6%95%99%e8%82%b2%e3%81%ae%e4%bd%93%e7%b3%bb%e5%8c%96%ef%bc%88%ef%bc%92%ef%bc%89-%e3%80%8c%e5%b0%8f%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e6%ae%b5/

2019年8月1日

松本 吉生(まつもとよしお)

Microsoft MVP Data Platform
京都に生まれ、神戸で幼少期を過ごす。大学で応用化学を学んだのち、理科教諭として高等学校に勤務する。教育の情報化が進む中で校内ネットワークの構築運用に従事し、兵庫県立明石高等学校で文部科学省の「光ファイバー網による学校ネットワーク活用方法研究開発事業」に携わる。兵庫県立西宮香風高等学校では多部制単位制の複雑な教育システムを管理する学籍管理データベースシステムをSQL ServerとInfoPath、AccessなどのOfficeソフトウエアによるOBA開発で構築・運用する。2015年から2017年まで兵庫県立神戸工業高等学校でC#プログラミング、IoTなどのコンピュータ教育を行い、現在は兵庫県立神戸甲北高等学校に勤務する。2004年からマイクロソフトMVP(Microsoft Most Valuable Professional)を受賞し、現在16回目の連続受賞。2016年にマイクロソフト認定教育者(Microsoft Innovative Educator Experts : MIEE)を受賞し、現在4回目の連続受賞。

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資本主義社会の終焉と情報主義社会あるいはデータ主義社会の到来 – 電子マネーが社会を変える(7) – 日本政府は本気で電子マネー社会をめざしている

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報道によれば、政府は閣議で2019年10月に消費税率を予定通り8%から10%へ引き上げると表明した。さらに電子マネーやクレジットカードなどの利用時には、ポイントなどで消費者に還元する施策を講じることとした。さらにその後の報道では、消費税の引き上げ率が2%であるにもかかわらず、9か月間の期限付きとして、還元率を5%にすることを決めたようだ。

消費増税が2%であるにもかかわらず、それを上回る5%の還元率にすることに対して、本末転倒であると指摘もあるが、この施策においてそのことは本質ではなく、これはおそらく日本政府の壮大な実験の始まりだと考える。

電子マネーの時代になり、国家ははじめて自国通貨を完全に管理できるようになる。おそらくこの政策は単に消費増税の影響を和らげるための緩和策ではなく、日本政府が本気で電子マネーによる通貨管理を目指していることのように思える。

そもそも現時点でどの程度電子マネーが市場で流通しているか、日本政府は全体を把握する必要があると考えているのだろう。今回のポイント還元政策を実施するにあたり、各店舗は還元ポイントを政府に申告しなければならない。これにより政府は電子マネーの流通状況を把握することができ、さらに中小企業の収支決算を今まで以上に把握できることとなる。

ポイント還元の対象が中小企業とされたのも、中小企業の消費動向を増やすという目的と同時に、大手企業が消費者情報を政府に渡したくないという思惑のためではないか。電子マネーを運用している大手企業は電子マネーの利用状況を政府に申告したくないはずであり、その点で政治的に調整が行われたとしても不思議ではないだろう。

電子マネーの普及により、国家は自国通貨を完全にコントロールできる時代になる。人類の歴史上はじめて直接的に通貨をコントロールできることは、経済をコントロールする新しい強力な手段になる。9か月という期間限定でポイント還元の施策を考えたのも、その点で意味がある。やろうと思えば還元率を期間限定でいくらでも調整できるようになるはずだからだ。

Written by Yoshio Matsumoto

2018年11月30日 at 11:04 PM

資本主義社会の終焉と情報主義社会あるいはデータ主義社会の到来 – 電子マネーが社会を変える(6) – 資本主義社会の欠点である金融恐慌がなくなる

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念のため筆者は経済学者でもなく、銀行や証券会社、政府機関に勤めた経験もなく、単にこの社会を 50年余り生きてきた一市民として考察していることをあらかじめ断っておく。識者からすればまったく的外れなことを書いていると思われるかもしれないが、大きな時代の変革期に、社会がどう変わっていくのかを考えることは誰にとっても意味があることだろう。

資本主義社会の大きな欠点に景気変動あるいは景気循環がある。資本がそれぞれの意思で生産力を拡大するため、生産と消費のバランスが崩れるのだ。景気が良いときは資本は生産力をあげようとするため、地価や株価が上がる。経済はインフレ傾向を示す。景気が悪くなると資本は生産を縮小しようとし、地価や株価は下がる。過剰生産により物の値段は下がり経済はデフレ傾向を示す。このとき、地価や株価の値段が下がりすぎると、それらを担保とする借金の信用が失われ、金融不安がおこる。

昭和2年、1927年におこった昭和金融恐慌は、第一次世界大戦後の戦時特需の反動と大正12年、1923年におこった関東大震災が遠因であるとされている。昭和恐慌の引き金になったのは、衆議院予算委員会における大蔵大臣片岡直温の、東京渡辺銀行が破綻した、との失言であったと言われる。実際に東京渡辺銀行は資金繰りに困っていたようだが、他銀行から融資を受けられる約束もでき破綻は回避できるはずだった。しかし大蔵大臣の発言に不安を感じた預金者が預金を引き出そうと銀行に押し寄せる「取り付け騒ぎ」がおこる。そのため結果的に東京渡辺銀行は休業を宣言し、経営破綻した。「取り付け騒ぎ」は他銀行にも広範囲に及び、金融不安が広がった。

金融恐慌は資本主義の景気変動あるいは景気循環に原因があるが、直接の引き金になるのは現金というシステムが持っている問題もある。現金は人の資産を仮想的に量るものだといえるが、それが銀行に預けらえれていると銀行の信用が失われたときに、手元に置いておこうという心理が働いて「取り付け騒ぎ」がおこる。預けたままでは返してもらえなくなるかもしれないが手元にあれば安心だと思うのだ。しかし実際は現金は単なる紙切れであり金属の塊であって、それが普遍的な価値を持っていると思われるのは国家に対する信頼が裏付けにある社会の共同幻想である。

現金が社会からなくなり全てが電子マネーで決算される時代になると、たとえ信用不安がおこっても手元に現金を蓄える手段がなくなる。金融恐慌時にむやみに紙幣を印刷することは制御できないインフレを招く危険があるからだが、電子マネーならその心配はない。紙幣を印刷して配ってしまえば、いったいどこにどれだけの紙幣が蓄えれれているのか国家は正確には把握できなくなるが、電子マネーならコントロールができ、どんな景気後退局面でも自由に増やすことができる。

この社会から現金がなくなり電子マネーの時代になれば、金融恐慌はなくなるだろう。だが金融コントロールが完全にできる時代になれば、次は産業構造の積極的なコントロールが必要になるだろう。このことはまた後に考えてみよう。

Written by Yoshio Matsumoto

2018年9月26日 at 9:32 PM

資本主義社会の終焉と情報主義社会あるいはデータ主義社会の到来 – 電子マネーが社会を変える(5) – 国家が経済を完全にコントロールできる時代になる

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念のため筆者は経済学者でもなく、銀行や証券会社、政府機関に勤めた経験もなく、単にこの社会を 50年余り生きてきた一市民として考察していることをあらかじめ断っておく。識者からすればまったく的外れなことを書いていると思われるかもしれないが、大きな時代の変革期に、社会がどう変わっていくのかを考えることは誰にとっても意味があることだろう。

いまのところ電子マネーは各企業、たとえばイオングループやセブン&アイホールディングスなどが独自に実施している。考えてみれば、政府はよくこのような独自通貨のようなものを許可したものだと思う。商品券や特定の商店街だけで通用する共通商品券など通貨「的」なものに対しては一定の規制があるはずだからだ。

おそらく政府はいずれ電子マネーを完全にコントロールしようとするだろう。その最先端が中国だ。日本でも急激に Alipay を使える店が増えていることに気づくだろう。Alipay は支付宝銭包で、その母体はアリババグループのようだ。

国家が国家として機能することとして、独自通貨の発行がある。その国の通貨はその国の経済の実態を背景にして信頼を受ける。通貨を発行することは国家の基本的な機能である。しかし現在の通貨は、それが紙幣や硬貨という形であるかぎりにおいて、発行した後は国家の管理下を完全に離れることになる。いったい誰がどれだけ通貨を持っているか、国家は把握できない。誰から誰に通貨が手渡されたかもわからない。しかし国家は通貨の流通を把握しなければならない。

いったいどれだけの手間が通貨の流通把握に使われているか想像してみればいい。多くの人手、書類によって管理しようとしているが、完全には管理できない。しかし電子マネーの普及により、また電子マネーを各企業の管理下から国家の管理下におくことにより、政府は経済すなわち通貨の流通をすべて把握し、コントロールできることになる。

つまり、電子マネーの時代になり、資本主義社会の原動力である通貨を、ようやく完全にコントロールできる時代になるのだ。これはいわば資本主義の最大の欠点の克服であり、計画経済が社会主義の専売特許ではなくなる時代の到来ともいえる。資本主義であっても、通貨の完全な管理、そして IT の普及と AI の進化によって、国家が「ゆるやかな計画経済」を実現できる時代がやってくる。

Written by Yoshio Matsumoto

2018年9月19日 at 9:28 PM

資本主義社会の終焉と情報主義社会あるいはデータ主義社会の到来 – 電子マネーが社会を変える(4) – 現金がなくなれば消費税もなくなる

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念のため筆者は経済学者でもなく、銀行や証券会社、政府機関に勤めた経験もなく、単にこの社会を 50年余り生きてきた一市民として考察していることをあらかじめ断っておく。識者からすればまったく的外れなことを書いていると思われるかもしれないが、大きな時代の変革期に、社会がどう変わっていくのかを考えることは誰にとっても意味があることだろう。

消費税という制度は欠陥の多い税制度だ。消費税法では、課税期間の基準期間における課税売上高が1,000万円以下である者については、課税期間中に消費者から集めた消費税を納める義務を免除する、とされている。つまり、消費者からは「消費税」としてとっておきながら、それを自分のものにしていい、とされているのだ。また今日のネット社会においては消費の在り方が多様化している。個人から個人への消費といえるオークションなどでは消費税の概念が追い付いていない。消費税は不公平な税制だと言われるが、お金を使うことに対して一律に、網羅的に徴収できるなら公平だといえるだろう。よく金持ちより貧乏人に厳しい税制だと言われることがあるが、消費することに対して一律に課税されるわけだから、その意味では公平であろう。

むしろ税制は消費税だけにするべきだ、という意見は傾聴に値する。所得に対して所得税、消費に対して消費税、さらに自動車税やガソリン税など、税制が複雑すぎるところに問題がある。

ところで、消費税の問題、すなわち消費にともなう現金のやりとりが管理できないという問題に対して、もし社会から現金がなくなり、電子決済だけになったとすると、お金のやりとりをすべて電子的に管理できる時代になる。そのとき、恐らく政府は消費税のかわりに「電子マネー税」を導入するだろう。電子マネーによってすべての決済情報が電子的に管理できる。管理できない現金に対する消費税をなくし、電子マネーの利用に対して税金をかける。このことによって国家は完全に経済を管理できることになる。景気が悪くなれば「来月から電子マネー税を減額します」といい、景気が良くなれば「来月から増額します」と言うことができる。食料品や日常生活雑貨などに対する軽減税率も公平にできるかもしれない。

資本主義社会の欠点である景気変動を電子マネーは解決するかもしれない。しかし、あるいは、また別の、新たな問題がおこるかもしれない。その意味でも私たちは大きな社会の変革期に、いま、いるのだ。

Written by Yoshio Matsumoto

2018年9月12日 at 9:27 PM

資本主義社会の終焉と情報主義社会あるいはデータ主義社会の到来 – 電子マネーが社会を変える(3) – 現金がなくなる時代が来る

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念のため筆者は経済学者でもなく、銀行や証券会社、政府機関に勤めた経験もなく、単にこの社会を 50年余り生きてきた一市民として考察していることをあらかじめ断っておく。識者からすればまったく的外れなことを書いていると思われるかもしれないが、大きな時代の変革期に、社会がどう変わっていくのかを考えることは誰にとっても意味があることだろう。

電子マネーが普及することによって利益を享受するのは、電子マネーの運用に直接かかわる企業や電子マネーに紐づいたグループ企業、そして利便性とポイント還元などを享受する消費者、そして、何よりもそれら以上に国家にとって都合がよいと考えられる。というのも電子マネー普及の究極には、この社会から現金がなくなる時代が来ると予想できるからだ。

日常的に現金を必要としない時代はもはやすでに現実のものとなっている。出かけるときにクレジットカードと数枚の電子マネーカードを持っていれば、財布を持って出る必要はない。もはやたいていの支払いはクレジットカードや電子マネーでできる社会になっている。考えてみれば現金というものは不透明なものだ。銀行口座ならば誰がいくら資産があるか客観的に把握することができるが、現金で持っていればわからない。現金には名前が書いていないので、自分の財布の中や自宅の机の引き出しに入っている現金は「自分のもの」だと常識的に言えるだけだ。場合によっては持っていることすら本人が忘れてしまうこともある。机の引き出しの奥にしまい込んだ1万円札を発見して小さな喜びを感じたことがないだろうか。

現金には名前が書いていないということは、人から人へと現金が受け渡されるときの不透明さにもつながっている。誰かが誰かに現金を渡したとしても、そのことは当事者同士にしかわからない。だから「払った」「払ってない」というトラブルがおこることがある。このトラブルを防ぐしくみが領収書だ。重要な支払いに銀行振り込みを利用することは、それが便利な方法であるとともに、支払いを銀行が客観的に証明することにもなっている。

電子マネーを利用することは、人から人へのお金の受け渡し、それが本来の意味での「お金」と言えるかどうかそれすら疑わしくなってくるのだが、それを客観的に透明化することになると同時に、机の中にしまい込まれた1万円札のように「どこにいくらあるかわからない」という現金の不透明性を一掃するところに意味がある。この電子マネーの利点を最大限に享受できるのはおそらく国家であり、現在のように民間企業が独自の電子マネーのシステムを持つのではなく、国家が直接に電子マネーの運用を決定したとき、現金がなくなる時代が来るのだろう。

現金がなくなり、電子マネーやクレジットカードなどによる電子決済社会になると、国家は歴史上はじめて自国の経済を完全にコントロールできる時代になるはずだ。このことをもう少し深く考えてよう。

Written by Yoshio Matsumoto

2018年9月5日 at 9:25 PM

資本主義社会の終焉と情報主義社会あるいはデータ主義社会の到来 – 電子マネーが社会を変える(2) – 電子マネーによって誰がどう得をするか

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念のため筆者は経済学者でもなく、銀行や証券会社、政府機関に勤めた経験もなく、単にこの社会を 50年余り生きてきた一市民として考察していることをあらかじめ断っておく。識者からすればまったく的外れなことを書いていると思われるかもしれないが、大きな時代の変革期に、社会がどう変わっていくのかを考えることは誰にとっても意味があることだろう。

さて、電子マネーが普及ことによっていったい誰が得をするだろう。この社会は世知辛いものであり、誰かが得をしないと変化の歯車は動かないはずだ。まずは電子マネーを管理する会社は、電子マネーの普及とともに繁栄する。関連企業、たとえばデータベースやネットワークの事業者、店舗におく決済用の電子端末などのデバイスを開発する会社もそうだろう。電子マネーの決済と同時に得られる顧客の購買情報を活用しようとする企業も繁栄するに違いない。

これら直接的に電子マネーの技術に関連する企業の次に、特定の電子マネーと紐づいているグループ企業、たとえば WAON なえイオングループ、nanaco ならセブン&アイホールディングスなど、電子マネーの利用と自社の商品を関連付けることで顧客を取り込むことができるだろう。

利用者にとってはどうか。筆者自身がそうだが、コンビニやスーパーマーケットでの支払いをクレジットカードでするようになり、さらに電子マネーの普及によって日常的に現金を使う場面が減り、財布を持たなくなった。何か月かに一度チャージしておけば、カード一枚持っているだけでほとんどの買い物ができる。さらにデビッドカードを使うようになってからは、カードにチャージする必要もない。給料は自動的に銀行口座に振り込まれ、そのままデビッド決済で使えば現金を一度も目にすることがない消費生活が生まれる。クレジットカードのように支払い請求が後からやってくるのではなく、支払った瞬間に電子メールで決済の通知を受け取ることもできる。その反面たまに現金を持たずに外出し、出先で旨そうなうどん屋を見つけても入る前に「電子マネーかクレジットカードを使えますか」と聞かなければならない。それで「使えません」と言われて泣く泣くあきらめたことも実際にある。といったことがあるにせよ、利用者にとって電子マネーは便利であるには違いない。

銀行はどうか。おそらく大手銀行も、キャッシュの取り扱いに経費がかかると考えているに違いない。利用者の利便性を考えて ATM 機を充実させればさせるほど機器管理に費用がかかり、ATM に現金を出し入れする経費もかかるだろう。電子マネーが普及して銀行口座から自動的にチャージできるようになり、デビッド決済によって店舗と銀行が直接結ばれることによってキャッシュを扱う経費を削減できる。

だが、おそらく最も電子マネーの恩恵を享受するのは国家ではないかと考えている。これについてはもう少し詳しく考えてみたい。

Written by Yoshio Matsumoto

2018年8月29日 at 9:23 PM