ホチキス先生の「プログラマーと呼ばれたい」

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Archive for the ‘雑感’ Category

ラクまたはラキ – トルコの酒 YENI RAKI は神戸三宮の頃末商店で買える – 1000 ml – 輸入者及び取引先は都商会

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神戸は歴史的に西洋との窓口である。JAZZ ライブバーも老舗のソネをはじめ小さな店がいくつかある。「たくさんある」と言いたいところだが、とても雰囲気のよかったサテンドールの閉店が象徴的であるように、一昔前と比べてずいぶん少なくなったと感じる。

神戸と西洋との関係が深いことのもうひとつは、街にパン屋やケーキ屋が多いことだろう。しかもどの店も特徴があるおいしいパンやケーキを作っている。どの店に買ってもパンはおいしい、というのが神戸の魅力のひとつだ。

そしてもうひとつ、外国料理店が豊富であることも神戸の魅力だ。フランス料理やイタリア料理店は他の都市でもありふれているかもしれないが、神戸三宮にはロシア料理、スペイン料理、そしてトルコ料理の本格的な店がある。とりわけ歴史のあるトルコ料理の「イスタンブール」はおすすめだ。もうひとつ有名なトルコ料理の店に「ムラート」がある。この両店は甲乙つけがたい。

トルコ独特の酒に「ラク」または「ラキ」と発音する酒がある。トルコ料理店では料理を楽しむと同時に、このトルコの酒「ラク」を飲むのがいい。さてこの「ラク」または「ラキ」を自宅で飲もうとあちこち探していたが、神戸には輸入酒店も多いのだが、どこを探しても見つからなかった。ところが先日、神戸三宮の「頃末商店」でこれをみつけた。

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頃末商店のWeb ページはこれだ。

http://www.korosue.com/

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ネット注文もできるようなので、YENI RAKI が飲みたい人は頃末商店を利用してはいかがだろうか。

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Written by Yoshio Matsumoto

2018年12月31日 at 12:03 AM

ほっともっとで弁当を注文しながら「ソフトウエア職人気質」の一節を思い出す

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ピート・マクブリーン Pete McBreen 著、村上雅章訳でピアソン・エデュケーションから Professional Computing Series の別巻7として出版された「ソフトウエア職人気質 Software Craftsmanship – The New Imperative」は2002年3月の出版であり、もはや16年前の書籍になるが、いま読んでも示唆に富む本だ。このことは逆に日本のソフトウエア産業が足踏みしたままであることも示している。情報教育、プログラミング教育に携わりながら教務システムの内製を経験した私は、常にプログラミングと価値の創造について考えているが、今日たまたま近所のほっともっとで昼食の弁当を買いに行ったとき、レジでの注文のあとぼんやりと弁当が出来上がるのを待ちながらこの本の一節を思いだした。

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いま年の瀬も押し迫った12月末だが、たとえば客に「年末年始の営業日はいつもと同じか」と聞かれたとしよう。「少々お待ちください」と言いスケジュール表を見るようでは優れたレジ係とは言えない。この時期だから、もしかしたら客からこのような質問があるかもしれないと思い、あらかじめ店舗スケジュールを頭に入れておくはずだ。そうすれば即座に返答ができるだろう。レジ係は客の注文を受け、代金をもらい、厨房に注文を出し、できた弁当を客に渡すという仕事だが、このルーチンだけできればいいというものではない。

「ソフトウエア職人気質」には「顧客の利益はソフトウエア職人の利益と一致する」の節があり、こう書かれている。「顧客は、優れたソフトウエアを望んでいます。そしてソフトウエア職人は、誇りに思え、自分の評判を支える優れたソフトウエアを作り出したいと考えています。こういった相互利益の一致によって、顧客とソフトウエア職人のより良い関係を築き上げることができるわけです。」

優れたレジ係の利益は客の利益と一致する。ソフトウエア開発者があらかじめ調整された仕様書だけを頼りにして開発する時代が終わったように、レジ係もマニュアル通りの注文、集金業務だけしていればよい時代も終わったのだろう、などとぼんやり思う年の瀬である。

資本主義社会の終焉と情報主義社会あるいはデータ主義社会の到来 – 電子マネーが社会を変える(7) – 日本政府は本気で電子マネー社会をめざしている

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報道によれば、政府は閣議で2019年10月に消費税率を予定通り8%から10%へ引き上げると表明した。さらに電子マネーやクレジットカードなどの利用時には、ポイントなどで消費者に還元する施策を講じることとした。さらにその後の報道では、消費税の引き上げ率が2%であるにもかかわらず、9か月間の期限付きとして、還元率を5%にすることを決めたようだ。

消費増税が2%であるにもかかわらず、それを上回る5%の還元率にすることに対して、本末転倒であると指摘もあるが、この施策においてそのことは本質ではなく、これはおそらく日本政府の壮大な実験の始まりだと考える。

電子マネーの時代になり、国家ははじめて自国通貨を完全に管理できるようになる。おそらくこの政策は単に消費増税の影響を和らげるための緩和策ではなく、日本政府が本気で電子マネーによる通貨管理を目指していることのように思える。

そもそも現時点でどの程度電子マネーが市場で流通しているか、日本政府は全体を把握する必要があると考えているのだろう。今回のポイント還元政策を実施するにあたり、各店舗は還元ポイントを政府に申告しなければならない。これにより政府は電子マネーの流通状況を把握することができ、さらに中小企業の収支決算を今まで以上に把握できることとなる。

ポイント還元の対象が中小企業とされたのも、中小企業の消費動向を増やすという目的と同時に、大手企業が消費者情報を政府に渡したくないという思惑のためではないか。電子マネーを運用している大手企業は電子マネーの利用状況を政府に申告したくないはずであり、その点で政治的に調整が行われたとしても不思議ではないだろう。

電子マネーの普及により、国家は自国通貨を完全にコントロールできる時代になる。人類の歴史上はじめて直接的に通貨をコントロールできることは、経済をコントロールする新しい強力な手段になる。9か月という期間限定でポイント還元の施策を考えたのも、その点で意味がある。やろうと思えば還元率を期間限定でいくらでも調整できるようになるはずだからだ。

Written by Yoshio Matsumoto

2018年11月30日 at 11:04 PM

ASUS VivoBook E200HA の電源アダプター変換コネクタを使う – ASUS VivoBook 11.6インチ ホワイト E200HA (インテル Atom x5-Z8350/4G/eMMC 32GB/Win10 E200HA-8350W/A – 充電用変換コネクタ

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ASUS の VivoBook E200HA は CPU や ストレージ搭載量など制約はあるが、小型軽量でバッテリーの持ちもよく、コストパフォーマンスに優れている。外出先でちょっとした用事をするのに便利だ。とりわけ薄さは抜群だ。もちろん Surface Pro などタブレットではもっと薄い機種もあるが、ちゃんとしたキーボードがあってこの薄さだというところがいい。

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しかし扱いにくい点としては、充電用の電源コネクタが特殊な形状であることだ。これは筐体を薄くするための設計だと思われるが、おおむね一般的なノートパソコンの電源コネクタがデファクトスタンダードに整理されつつあることを考えると不便であるともいえる。

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そこで一般的な AC アダプタから電源をとる変換コネクタを探してみた。中国製で 287円だった。

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四角い方のコネクタを ASUS VivoBook E200HA の電源ソケットに差し込む。

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本体から長く突き出るので不安定感はある。何かにぶつけたりして本体の差込口を破損しないように気をつけよう。

Written by Yoshio Matsumoto

2018年11月7日 at 8:05 PM

プログラミングせずにプログラミング思考が身に着くはずがない – 「プログラミング思考」という言葉のまやかし – Visual Studio を使った C# プログラミングは最高の学習環境である。

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「情報教育」や「プログラミング教育」という言葉が表に出るたびに本質を捻じ曲げる言葉が作り出される。その理由は明らかだ。コンピュータのことを知らない人間が「情報教育」を語るとき、「情報教育はコンピュータを教えるものではない」と言い、プログラミングを知らない人間が「プログラミングができなくてもプログラミング思考を身に着けることができる」と言う。この二つの理由の根は同じだ。

たとえばこのように言ってみよう。「英語で話ができなくても英語的思考を身に着けることができる」「足し算引き算ができなくても数学的思考を身に着けることができる」「電池を豆電球につなぎ光らせることができなくても理科的思考を身に着けることができる」「楽器を何も弾くことができなくても音楽的思考を身に着けることができる」

もうこれでいいだろう。

つまり、「プログラミングができる」ということは「プログラミング思考」を養う基本的な一歩なのだ。

しかし、このことは当然、実用的なアプリケーションを完成させるまでのプログラミング力を養う必要はない、ということも真実である。またどのような言語を使うかも、学習者のレベルにあわせて選択すべきであろう。学習ツールとしてのプレアットフォームも同様だ。

小学生ならブロック型のプログラミング言語を使うことがいいだろう。そしてブロックの背後にはコードがあることを体験させる。中学生程度なら多くの学校で実践されているエクセルのマクロ、VBA を使うのもいいだろう。厳密に言えばエクセルのマクロはプログラミングではなく、エクセルというアプリケーションソフトの「オートメーション」だ。しかしエクセルのマクロには学習者にとってたいへん有効な、マクロの自動記録の機能がある。マクロの記録をしながら画面を操作すると、操作の手順がマクロとして記録される。このコードを元にして応用、発展させることで、マクロの自学自習ができる。

高校生では本格的なプログラミングを学習させるべきだ。高校生には実際に社会で使われているアプリケーションやプラットフォームを使って実習をさせるべきである。筆者は20年も前に高等学校でマルチメディアデザインの授業を始めたが、当時いくつかあった安価な画像編集ソフトを使わず、Adobe の Photoshop を使った。

新しい技術の概念はツールに表現されている。適切なツールを使うことで新しい技術概念を正しく身に着けることができる。技術とツールは不可分である。

どの言語を使ってプログラミング教育をしていい。とならば、Visual Studio を使った C# プログラミングは大きな選択肢の一つである以上に、コンピュータの OS が Windows であるならば、最も開発環境を整えやすく、実社会で使われており、効率よく、単純なものから高機能なものまで作ることができ、データベースやネットワークの実習ができるアプリケーションも簡単に作ることができ、しかも書店に行けば初心者から上級者まで様々な解説書が手に入る、Visual Studio と C# の組み合わせは最高の選択肢だといえる。

2018年10月10日

松本 吉生(まつもとよしお)
Microsoft MVP Data Platform

1961年京都に生まれ、神戸で幼少期を過ごす。大学で応用化学を学んだのち、理科教諭として高等学校に勤務する。教育の情報化が進む中で校内ネットワークの構築運用に従事し、兵庫県立明石高等学校で文部科学省の「光ファイバー網による学校ネットワーク活用方法研究開発事業」に携わる。兵庫県立西宮香風高等学校では多部制単位制の複雑な教育システムを管理する学籍管理データベースシステムをSQL ServerとInfoPath、AccessなどのOfficeソフトウエアによるOBA開発で構築・運用する。2015年から2017年まで兵庫県立神戸工業高等学校でC#プログラミング、IoTなどのコンピュータ教育を行い、現在は兵庫県立神戸甲北高等学校に勤務する。2004年からマイクロソフトMVP(Microsoft Most Valuable Professional)を受賞し、現在15回目の連続受賞。2016年にマイクロソフト認定教育者(Microsoft Innovative Educator Experts : MIEE)を受賞し、現在4回目の連続受賞。

資本主義社会の終焉と情報主義社会あるいはデータ主義社会の到来 – 電子マネーが社会を変える(6) – 資本主義社会の欠点である金融恐慌がなくなる

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念のため筆者は経済学者でもなく、銀行や証券会社、政府機関に勤めた経験もなく、単にこの社会を 50年余り生きてきた一市民として考察していることをあらかじめ断っておく。識者からすればまったく的外れなことを書いていると思われるかもしれないが、大きな時代の変革期に、社会がどう変わっていくのかを考えることは誰にとっても意味があることだろう。

資本主義社会の大きな欠点に景気変動あるいは景気循環がある。資本がそれぞれの意思で生産力を拡大するため、生産と消費のバランスが崩れるのだ。景気が良いときは資本は生産力をあげようとするため、地価や株価が上がる。経済はインフレ傾向を示す。景気が悪くなると資本は生産を縮小しようとし、地価や株価は下がる。過剰生産により物の値段は下がり経済はデフレ傾向を示す。このとき、地価や株価の値段が下がりすぎると、それらを担保とする借金の信用が失われ、金融不安がおこる。

昭和2年、1927年におこった昭和金融恐慌は、第一次世界大戦後の戦時特需の反動と大正12年、1923年におこった関東大震災が遠因であるとされている。昭和恐慌の引き金になったのは、衆議院予算委員会における大蔵大臣片岡直温の、東京渡辺銀行が破綻した、との失言であったと言われる。実際に東京渡辺銀行は資金繰りに困っていたようだが、他銀行から融資を受けられる約束もでき破綻は回避できるはずだった。しかし大蔵大臣の発言に不安を感じた預金者が預金を引き出そうと銀行に押し寄せる「取り付け騒ぎ」がおこる。そのため結果的に東京渡辺銀行は休業を宣言し、経営破綻した。「取り付け騒ぎ」は他銀行にも広範囲に及び、金融不安が広がった。

金融恐慌は資本主義の景気変動あるいは景気循環に原因があるが、直接の引き金になるのは現金というシステムが持っている問題もある。現金は人の資産を仮想的に量るものだといえるが、それが銀行に預けらえれていると銀行の信用が失われたときに、手元に置いておこうという心理が働いて「取り付け騒ぎ」がおこる。預けたままでは返してもらえなくなるかもしれないが手元にあれば安心だと思うのだ。しかし実際は現金は単なる紙切れであり金属の塊であって、それが普遍的な価値を持っていると思われるのは国家に対する信頼が裏付けにある社会の共同幻想である。

現金が社会からなくなり全てが電子マネーで決算される時代になると、たとえ信用不安がおこっても手元に現金を蓄える手段がなくなる。金融恐慌時にむやみに紙幣を印刷することは制御できないインフレを招く危険があるからだが、電子マネーならその心配はない。紙幣を印刷して配ってしまえば、いったいどこにどれだけの紙幣が蓄えれれているのか国家は正確には把握できなくなるが、電子マネーならコントロールができ、どんな景気後退局面でも自由に増やすことができる。

この社会から現金がなくなり電子マネーの時代になれば、金融恐慌はなくなるだろう。だが金融コントロールが完全にできる時代になれば、次は産業構造の積極的なコントロールが必要になるだろう。このことはまた後に考えてみよう。

Written by Yoshio Matsumoto

2018年9月26日 at 9:32 PM

資本主義社会の終焉と情報主義社会あるいはデータ主義社会の到来 – 電子マネーが社会を変える(5) – 国家が経済を完全にコントロールできる時代になる

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念のため筆者は経済学者でもなく、銀行や証券会社、政府機関に勤めた経験もなく、単にこの社会を 50年余り生きてきた一市民として考察していることをあらかじめ断っておく。識者からすればまったく的外れなことを書いていると思われるかもしれないが、大きな時代の変革期に、社会がどう変わっていくのかを考えることは誰にとっても意味があることだろう。

いまのところ電子マネーは各企業、たとえばイオングループやセブン&アイホールディングスなどが独自に実施している。考えてみれば、政府はよくこのような独自通貨のようなものを許可したものだと思う。商品券や特定の商店街だけで通用する共通商品券など通貨「的」なものに対しては一定の規制があるはずだからだ。

おそらく政府はいずれ電子マネーを完全にコントロールしようとするだろう。その最先端が中国だ。日本でも急激に Alipay を使える店が増えていることに気づくだろう。Alipay は支付宝銭包で、その母体はアリババグループのようだ。

国家が国家として機能することとして、独自通貨の発行がある。その国の通貨はその国の経済の実態を背景にして信頼を受ける。通貨を発行することは国家の基本的な機能である。しかし現在の通貨は、それが紙幣や硬貨という形であるかぎりにおいて、発行した後は国家の管理下を完全に離れることになる。いったい誰がどれだけ通貨を持っているか、国家は把握できない。誰から誰に通貨が手渡されたかもわからない。しかし国家は通貨の流通を把握しなければならない。

いったいどれだけの手間が通貨の流通把握に使われているか想像してみればいい。多くの人手、書類によって管理しようとしているが、完全には管理できない。しかし電子マネーの普及により、また電子マネーを各企業の管理下から国家の管理下におくことにより、政府は経済すなわち通貨の流通をすべて把握し、コントロールできることになる。

つまり、電子マネーの時代になり、資本主義社会の原動力である通貨を、ようやく完全にコントロールできる時代になるのだ。これはいわば資本主義の最大の欠点の克服であり、計画経済が社会主義の専売特許ではなくなる時代の到来ともいえる。資本主義であっても、通貨の完全な管理、そして IT の普及と AI の進化によって、国家が「ゆるやかな計画経済」を実現できる時代がやってくる。

Written by Yoshio Matsumoto

2018年9月19日 at 9:28 PM