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Archive for the ‘雑感’ Category

インターネットは「知の戦国時代」の到来

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インターネットが本格的に普及する頃から、これは「知の戦国時代」が到来するだろう、と予感していたが、まさに今、そうなりつつある。

織田信長はもともと大名家の出身で、室町幕府を滅ぼして天下を統一したが、その家臣で後に政権を掌握する豊臣秀吉は、はっきりしてはいないようだが足軽、または農民の出身であったらしい。「戦国時代」という比喩は、その氏素性にかかわらず実力のある者が実権を勝ち取っていく時代、という意味で使っている。

インターネットの普及以前は、「知」というものは一定の専門家や組織が発するものであって、多くの者はそれを受け取るだけだった。「知」を発信するのは、たとえば特定の分野について継続的に研究する「学者」や「研究者」、職業生活や人生の中で得たものをまとめる「経験者」、事件や事故、社会情勢などを調べてまとめる「報道者」、などだ。ちなみに近年は「タレント」がやたらに情報発信しているように思うが、これは「知」の分類には含めないので考慮しない。

もちろん民主主義の社会であるから、インターネットの普及以前でも発信された「知」に対して異論を唱えたり、反論することはできなくはない。しかしそれには自ら学者になって長年研究を続けて論文を発表するとか、職業生活の中で実践して正しさを証明するとか、あるいは同じ考えの人間を集めて組織し行動をおこすなど、たいへん面倒なことだった。しかしインターネットの普及により、誰もが自分の「知」を学者や研究者、経験者と同じように発表できるようになった。うまくやれば「マスコミ」と同じほど、場合によってはそれ以上に影響力を持つ情報発信ができる時代になった。

さらに最近は、発信された情報に対して、誰もがリアルタイムで批判できるシステムが成熟しつつある。たとえばFacebookやtwitterでは、公開された情報に対してコメントを付ければ、それが集約されて閲覧できるようになる。また記事の公開システム自体にコメントを受け付けたりFacebookのコメントを集約して表示する機能がある。そこでは専門家の投稿記事に対して、素人が(そう見えるだけかもしれないが)正面から批判したりしている。

これは直感的なものだが、ある記事に対して多くの素人が(そう見えるだけかもしれないが)コメントをしている場というものは、賛同か批判かのどちらかに偏っているように思える。それは単に記事を書いた人にインターネット上のファンが多いからかも知れないし、元の記事の質が悪いために批判が多いのかもしれないし、あるいは「その通りだ」と思った人は腑に落ちるだけでコメントする動機にならないからかもしれない。野次馬や付和雷同だけかもしれない。

誰もが自由に意見を発表し、多くの人に傾聴されることは、もちろん悪いはずがない。しかし「知」というものは、その背後に幅広い知識や視野、経験の裏付けがあってこそ真の価値がある。よく目につくのは政治家の発言に対しての批判だが、本当に国際政治を理解して発言している素人(そう見えるだけかもしれないが)がどれほどいるのだろうと思う。これまでの一方通行だった情報発信の時代に終止符を打ち、だれもが情報発信でき「知」が短期間で洗練されることをインターネットは実現したが、その負の面も意識しておかなければならない時代になった。

戦国時代、戦で功績をあげた者が必ずしも優れた統治者になれるとは限らないように、素人(そう見えるだけかもしれないが)が専門家に対してリアルタイムに臆することなく批判を投げかけることができる現在の「知の戦国時代」も、いずれは「安土桃山時代」から「江戸時代」に至るように、一定の安定した統治時代に至るのだろうか。それは誰にもわからない。それが良いことなのか悪いことなのかも。

補足:ちなみにbingで「知の戦国時代」と検索しても現時点でヒットしないので、この言葉はインターネット上でこのページが発祥となるだろうと期待している。

Written by Yoshio Matsumoto

2015年9月3日 at 10:39 AM

カテゴリー: 雑感, 情報教育

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雑感 – 子どもを本好きにする方法 – 渡すときにはプレゼント包装で

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「よく本を読む子になってほしい」とたいていの親は思うだろう。昔と違って様々なメディアから情報を受け取ることができる今日ではあるが、「テレビを見る子になってほしい」とは思わない。これほどのマルチメディア時代になっても、本を読めることには価値がある。それは本を読むには熟練と努力が必要であること、文字情報は知的生産性が高いこと、そしておそらく小さいころから文字情報の入出力を経験することで脳が早いうちから活性化することが考えられる。現代社会においても多くの知的活動は文字情報を媒介して行われる。本を読むことが得意であるかないかは、その子の人生に大きく影響を与えるだろう。そのことを知っているから親は「よく本を読む子になってほしい」と思うのだ。

子どもを本好きにするか否かは親の考え次第である。そしてそれは0歳からの家庭教育の問題だ。小学校に行くようになってから「うちの子は本を読まなくて困っています先生なんとかしてください」と言ってもはじまらない。まず親自身が本好きでなければならない。自分が本を読まずに子どもに本を読めと言っても伝わらない。本が好きでないと本の読み聞かせも億劫になり、楽しくない気持ちは子どもに伝わる。親が本好きなら自然と子どもを本好きにする行動がとれるのだが、そうでなくてもやる気があれば努力次第だ。

どうすれば自分の子どもが本好きに育ってくれるか。まずはなんといっても0歳からの絵本の読み聞かせである。ある程度大きくなると、絵本の読み聞かせと同時に子供の手の届くところにの絵本を置き、いつでも手に取ってよめるようにしておく。自分で文字は読めなくても、絵を見て楽しむことを定着させる。おそらくこの頃の子どもは、絵を見ながら読み聞かせられたストーリーを頭の中で再現しているはずだ。つまり、文字は読めなくても間接的な読書をしているのだ。この頃に与える本は、投げられたり破られたり、またはなめられたり食べられたりして痛んでいくが、それでかまわない。本が傷むだけ子どもは本に接したのだと思おう。

子どもが小さいうちは居間のテレビをつけてはいけない。テレビは刺激の強いメディアで強制力があるから、テレビがついていればまず子供は絵本に手をのばさないだろう。子どもがおもちゃで遊ぶのと同じように本と戯れ、子どもが手にした本を読んであげる。本を媒介とした親子の時間ができる。

絵本を開きながら読み聞かせをするときは、ゆっくりと心を込めて読もう。まだ文字を覚えていない子供でも、実は読み聞かせのときには絵と同時に文字も目で追っている。文字に興味を持ったことが感じられたら、子どもの目線を観察してみるといい。次第にちゃんと文字を正しく目で追えるようになっていく。この頃にはとくにゆっくりと読んであげよう。

絵本を読む習慣がついたら、仕事帰りに絵本を買って帰ろう。この絵本は必ずプレゼント包装にする。「絵本を買ってきたよ」ではなくて「プレゼントだよ」と渡すのだ。そしてこの最初のプレゼントは必ず子供の心に残るものでなければならない。まちがいなく子供が喜ぶ、そして良書を選ぶための時間を惜しんではいけない。誰かに勧められたとかAmazonのカスタマー評が良いとかで選んではならない。必ず大きな書店に何度も足をはこび、いくつもの本を手に取って自分で読み、時間をかけて選ばなければいけない。それはたとえば子どもに本を渡すとき「これどんなお話?」と聞かれてストーリーを魅力的に語れるくらいになっていなければならない。

本をプレゼント包装で渡し、ていねいに読み聞かせ、子どもの手元にいつでも本を置き、テレビをつけず本を読める環境を整える。よい本を何度かプレゼントすると、子どもは次を楽しみに待つようになる。「パパ、今日はプレゼントある?」と聞いてくるようになる。あとは子どもが自分で読書体験を切り開いていくだろう。

Written by Yoshio Matsumoto

2012年7月21日 at 11:37 AM

読書 – T・J・マグレガーが面白い。クィン・アンド・マクレアリシリーズの最初の3巻は一気に読むべきだ。

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通勤時間が長いので、その時間をいかに有意義に使うかが俺にとっての大きな課題だ。片道1時間半、往復で3時間ともなると、一日24時間のうち睡眠時間が8時間、勤務時間が8時間、食事や風呂など生活時間をさっぴくとして、自分の時間として自由に使える時間のうちでこの3時間をいかに有意義に過ごすかがいかに重要なことかがわかるだろう。

かつては図書館司書であった親父譲り。俺は子供の頃からの本好きだ。とりわけ小学校の4年生から一家転住で転校をし、友達関係がリセットされるとともに級友の中でもいちばん学校から遠い家から通うことになった俺は、このことで本好きが高じるようになったと自己分析している。学校帰りに歩きながら文庫本を読む姿がまるで二宮金次郎のように見えたのか、「えらいわね」と近所のおばさんたちに言われたことを思い出すが、読んでいたのはSFか推理小説だった。

だがしかし趣味の読書であっても本を読むのはいいことだ。数多くの言葉に触れ、語彙が豊富になる。言語表現の世界が豊かになる。社会人になっても本を読むことが早いこと、文章を書くことが苦にならないことは、子供の頃の読書体験のためだと思う。報告書、企画書、提案書、稟議書。知的労働者には文字を読み、書くことが求められるのだ。

社会人になってパソコンの解説書や仕事に関係する書籍を読むことはあっても、小説など趣味としての読書からは遠ざかっていたが、電子ブックのおかげで近年は再び読書体験が豊かになっている。今は通勤時にKindleとNOOKを両方持ち、同じ書籍を両方で読めるようにしている。明るいうちは歩きながら、あるいは電車の中ではE-inkのKindleで読み、暗いところではNOOKで読む。家を出てから職場に着くまで、職場を出てから家に着くまで2台の電子ブックを使い分ければフルに時間を読書に使うことができる。おおむね俺は文庫本で100ページを1時間で読めるので、一日の通勤時間3時間をフルに使うと600ページくらいの小説なら2日で読めることになる。ちなみに文庫本の600ページはかなり厚い本だ。

ところで前置きが長くなったが、最近読んだ本の中で特に面白かったのがこのT・J・マグレガー(Trish Janeshutz Macgregor)だ。T・J・マグレガーは1950年生まれのアメリカ人女性作家。いくつかの職を経て小説家になり、1985年に作家デビューした。私立探偵のクィンとマクレアリが活躍するシリーズの第一作「闇に抱かれた女 Dark Fields」は1986年に発表され、第二作「銀幕に踊る死 Kill Flash」は1987年に、第三作「蜜のような殺意 Death Sweet」は1988年に発表された。

この3作品はそれぞれ別個の物語だが、ともに主人公はクィンとマクレアリのコンビである。第一作の冒頭ではクィンとマクレアリは赤の他人だ。その二人が事件をきっかけに出会い、最初は反目し合っていた二人が次第に心を惹かれていく。事件を解決するというサスペンス仕立ての物語に、二人の生き方が重ねあわされる。 作者が女性だということもあるのだろう、マクレアリに対するクィンの気持ち、女性の心がとても丁寧に描かれている。男にとってこのクィンという女性は扱いにくいように思えるが、男というものはそういう扱いにくい女性に結局は惹かれてしまうのだな、ということも考えさせられて面白い。

第一作から第二作、第三作へと次第に事件のスケールが大きくなっていき、クィンとマクレアリの関係も次第に深く描かれていく。まるで「三部作」のようである。読むならこの三冊は、一気に読み通すといい。この「クィン・アンド・マクレアリ」シリーズはこの後も続くので、先を楽しみにしている。

Written by Yoshio Matsumoto

2012年7月21日 at 9:43 AM

今夜のビール – キリンラガービール

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親父は昭和ひとけたの世代で、今でも元気に毎晩晩酌にビールを飲む。親父の口癖は「やっぱりキリンはうまい」だ。言っては悪いが親父の世代では現役時代に多くの種類のビールを飲む機会はあまりなかっただろう。ビールの味をそれほどわかっているとは思えない。実際、俺がお気に入りのギネスやバスペールエールを飲ませてもあまり感動をしてくれない。

だとしても昭和ひとけたの親父の世代では、やはりキリンラガーの味は忘れられない味なのだろう。かつては国内ビール生産のトップを走り続けた麒麟麦酒の主力商品で、一時はビールと言えばキリンビールという風潮があった。1987年にアサヒビールから「スーパードライ」が発売され、いわゆる「ドライ戦争」と言われるような軽く切れ味のいいビールが好まれる時代となり、ついに1996年6月にはアサヒスーパードライが月間シェアでキリンラガービールを抜くこととなる。

それでも親父はキリンラガービールが大好きだ。俺はキリンラガービールをたまにしか飲まないが、年を追うごとに味に懐かしさを覚えるようになってくるような気がする。いつまでも変わってほしくないビールだ。ビール缶には「SINCE 1888」の文字が誇り高く掲げられている。

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Written by Yoshio Matsumoto

2012年7月8日 at 3:33 AM

今夜のビール – バドワイザー Budweiser 麒麟麦酒株式会社製造 その2

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先日はストックしていたバドワイザーを飲んだが、いまは缶のデザインが赤っぽいものにかわっているようだ。ビールの味は、食べ物によって、またそのときの体調によって違って感じられることがあるので難しいのだが、味には変わりはない、と思われる。

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この缶にも「KING OF BEERS」と誇らしげに書かれており、Wikipediaをみると「バドワイザー( Budweiser 、略称 Bud、バド )とは、アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイスに本社を持つアンハイザー・ブッシュ社が生産・販売するビールである。1876年に生産が始められ、今では世界一の販売量を誇っている。」と書かれている。

「バドワイザー」(Budwaiser)の名称は、ヨーロッパ屈指の中世以来のビール産地として広く知られているチェコ・南ボヘミア州のチェスケー・ブジェヨヴィツェ市のドイツ語地名・ベーミッシュ・ブトヴァイス(Böhmisch Budweis)のうち「ブトヴァイス」(Budweis)にちなんだものらしい。本来のブランド名としては、このチェコの地ビールのことを指すようだ。しかしアメリカ産の「バドワイザー」の名称は、チェコとは関係なく、ドイツ系アメリカ移民のアドルファス・ブッシュが1876年にビール名産地の「ブドヴァイス」にあやかろうと、自らが発売したピルスナータイプのビールに「バドワイザー・ラガー・ビール」(Budweiser Lager Bier)と命名して誕生したという。その後登録商標をめぐってアドルファス・ブッシュと「ブドヴァイゼル」ブランドビールの対米輸出を行っていたブジェヨヴィツェ市民醸造およびチェコ合同醸造との間で商標訴訟にまでなったという。現在は、チェコ側が北米および米国保護領に限り「バドワイザー」の商標権を放棄することで合意しているようだ。

さっぱりとしたくせのない味だ。

Written by Yoshio Matsumoto

2012年6月29日 at 1:06 AM

カテゴリー: ビール, 雑感

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今夜のビール – バドワイザー Budweiser 麒麟麦酒株式会社製造

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学生時代に少し恰好をつけて飲むビールがこれだった。日本のビールと言えば「キリン」、「サッポロ」、「アサヒ」くらいしかなかった時代だ。だが正直に言って、たいして肥えていない学生の舌でも、バドワイザーを「旨い」と思ったことはなかった。そんなことを思い出しながら久しぶりにバドワイザーを飲んだが、やはり記憶は確かだった、というのが感想である。

アルコール分が鼻につく、というか、まるで焼酎のような蒸留酒でビールを割ったような味である。色も薄いのでなおさら「割った」感がある。「ビール」というより今日の発泡酒のような味だ。

世界各国のビールが手軽に飲める時代になり、ビールという飲み物は実に様々なタイプのものがあり、一口に「ビール」と言うのが適切でないとわかるようになった。その意味で、このバドワイザーは独特の味を醸し出していると言えなくもない。良い、悪いではなく「バドワイザーの味」だ。

熱い夏の日に強い陽射しを浴びながら、喉の渇きを癒すためにぐいぐいと飲む。そんなビールだ。アルコール分5%となっているが、酔いのまわりは早い気がする。味が淡白なので飲みやすいからだろうか。製造は麒麟麦酒株式会社だ。

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Written by Yoshio Matsumoto

2012年6月23日 at 12:37 AM

カテゴリー: ビール, 雑感

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今夜のビール – シルクエビス Premium YEBISU – 麦芽100%生ビール(非熱処理)

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「小麦麦芽を一部使用することで、きめ細かい泡、絹のようななめらかな口当たり、上品な味わいを実現」とある。確かに「シルク」の名前にふさわしい味だ。エビスビールはその濃厚な味に特徴があるのだが、そこをあえて爽やかな味で飲みやすくした、というものだろう。

エビスビールはアルコール度5%だが、このシルクエビスは5.5%と少し高い。このアルコール度の高さも切れ味に貢献しているように思う。

万人にお勧めできるバランスのとれた味。いいビールだ。

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Written by Yoshio Matsumoto

2012年6月17日 at 2:01 AM